東北LOVERS

東北地方の歴史の概観と関連する観光名所を厳選

2018年08月03日(金)/東北


(1) 歴史の概観

歴史の概観

東北地方は、昔はアイヌ民族が住んでいて野蛮な土地だと思われていました。大和朝廷は、官軍を派遣して、支配しながら京都の文化を普及しようとしました。

鎌倉時代の初期

源氏が自らの支配地の拡大と黄金の獲得の為に、当時隆盛を誇っていた①藤原氏を攻め滅ぼしました。南北朝時代(室町時代初期)では、東北地方を治めていた橘氏が京都に上って天皇方の連合軍と協力して、関東地方から攻め上がって来た反乱軍である足利尊氏と交戦し、九州地方へ追い落としました。

安土桃山時代

北陸地方にあった強豪な戦国大名である上杉氏を、天下人となった豊臣秀吉が常に警戒する必要がある徳川家康の領国である関東地方の北方で、同様に危険な伊達政宗の領国である②仙台地方の南で、両者との間にある③山形地方に移動させました。豊臣家に対し謀反の準備を進めているとあらぬ疑いをかけていると吹聴する当時の豊臣家の重臣でもある家康が、上杉氏に対する進出軍の出発により、後日、石田三成を中心とする西軍と東北地方から引き帰して来た徳川家康を中心とする東軍との戦いである歴史上有名な関が原合戦の引き金となりました。

江戸時代

徳川氏が信頼する松平氏を会津藩主にさせたのですが、幕末の戊辰戦争ではあくまで幕府に忠誠を尽くす会津藩を、薩摩藩・長州藩を中心とする官軍が天皇に逆らう逆賊として攻め滅ぼしました。

現代

環境面で色々な被害があるとわかっている原子力発電所を、中央政府のある東京都の経済発展の為に、甘い言葉や補助金の供与により、東北地方の福島地方へ建設しました。後日、東日本大地震の際に、原子力発電所の放射能のせいで、多くの人々が死亡・疾病し、多くの建物が倒壊、経済活動が停止・停滞等、多大な犠牲を生み出しました。今なお、被害が続いています。

(2) 東北地方の自然環境

東北地方の自然環境

東北地方は、北海道・北陸・山陰地方同様に、関東・東海・近畿・四国・九州地方に比べると冬は寒く、風や波も激しいのであります。その一方で、自然にも恵まれており、緑豊かな山林、農作物の栽培に適しており、魚介類もたくさん採れます。

東北地方の自然環境
地理的な気象条件を言いますと、磐梯・蔵王・八万平・八甲田といった山々を擁する奥羽山脈により、東北地方は東と西に二分され、気候もはっきりと差異を見せています。黒潮に洗われる東の太平洋側は冬でも比較的暖かく雪も少ないのに対し、西の日本海側は豪雪地帯として知られ冷え込みも厳しいと思います。

東北地方の自然環境

(3) 東北地方人の気質

東北地方人の気質

東北地方の人々は、以上のような厳しい自然環境に耐え抜き逞しく生き抜いてきたせいではないかと考えますが、昔から非常に生真面目で純朴で人懐こい性格であります。関西人に見られるような小ずるさ・計算高さ等は見られません。それを良い事に、中央政府は、色々な理由を付けて自分達の都合がよい様に東北地方の人々を取り扱って来たように思います。

(4) 東北地方の主な観光施設

以上のような視点から、次の観光施設をご覧になれば、良いと思います。

① 平泉/中尊寺

中尊寺金色堂

1124年に藤原清衡が建立した「阿弥陀堂」(国宝)。黒墨で塗り固め、金箔を押し、七宝の巻柱に螺鈿・珠玉を散りばめ、透かし彫りの金具、漆の蒔絵など、堂内は精巧な工芸品そのものであります。須弥壇の下には、藤原4代(清衡・基衡・秀衡・泰衡)のミイラ化した遺体も安置されています。寺内には、弁慶の墓、塔頭17カ所で構成される中心地である「本堂」、国宝・重文3,000点以上を収蔵する「讃衡蔵」等であります。その他に、特別名称の浄土庭園が広がる「毛越寺」、藤原4代をろう人形で再現・紹介する「ゆめやかた」、平泉の歴史をわかりやすく解説する「平泉文化史館」等があります。

② 仙台/仙台城跡(青葉城址)

仙台/仙台城跡(青葉城址)

せんだい旅日和

あの独眼流の「伊達政宗」が築いた仙台藩62万石の本拠の跡。騎馬姿の「伊達政宗」像が立つ展望台からは仙台市街の眺めが良いです。また、仙台市は“杜の都”と呼ばれ、美しいケヤキ並木の通りがそのシンボルになっています。その他、伊達政宗や支倉常長の貴重な品々を展示する「仙台市博物館」や「東北大学植物園」も見ごろです。

③ 山形/米沢

山形/米沢

米沢四季のまつり

越後の「上杉謙信」を祖とする上杉氏が入城し、米沢藩15万石の城下町として栄えました。米沢藩の本拠地の跡である「松が岬公園」があり、園内には、「上杉神社」、「上杉謙信」・「景勝」(謙信の甥で次期君主)・「鷹山」(米沢藩の財政状況を改善させた名君主)や直江兼続(喧嘩を討って来た家康に対し相手を激怒させる「直江状」と呼ばれる書状を送付)の遺品・遺書の中心とする「稽照殿」、米沢市上杉博物館などがあります。「上杉謙信」・「景勝」・「直江兼続」・「前田慶次」(「前田利家」の甥で上杉家の反家康方針に賛同し家来となった)の甲冑や火縄銃のある「宮坂考古館」、「上杉家廟所」(墓地)もご覧頂きたい。

④ 会津若松/鶴ヶ城

会津若松/鶴ヶ城

ふくしまの旅

「戊辰戦争」で一ヶ月の攻防戦の後で落城した歴史上有名なお城。天守閣は5層で、展望台からは会津盆地を一望できます。その他、「戊辰戦争」との関係では、国家老の西郷頼母の家族が自害した「西郷邸」なある「会津武家屋敷」、「飯盛山」(「白虎隊」が自刃した場所)、「白虎隊記念館」、「旧滝沢本陣」(戊辰戦争の際の会津藩大本営。弾痕や刀傷も残る)、「阿弥陀寺」(別名「御三階」。会津藩士等東軍戦士約1280体が埋葬)、「会津藩日新館」(藩校)、新選組隊長/「近藤勇の墓」等があります。

(5) まとめ

蔵王の樹氷

以上により、豊かな、かつ厳しい自然につつまれ、生真面目で純情な心を持つ東北地方の人達が、中央政府に自分達の都合の良い様にされ、悲惨な歴史を歩んでいたのか、と十分わかると思います。東北地方人達の悔しい、また情けない気持ちがわかれば、と思って文章を書いた次第です。現代においても、東日本大地震の時に、原子力発電所の放射能のせいで、非常に多くの人達が犠牲になったのは、日本経済発展という名の自分達の都合だけを優先して来た中央政府のせいであり、その復旧及びより良い状態にするのは、中央政府の義務であると思います。ここで中央政府というのは、過去の江戸幕府と薩摩・長州などの末裔であることを忘れないで頂きたいと思います。